生い立ち
少しでもGID(性同一性障害)に対しての理解者が増え
自分という人間を知ってもらえたら嬉しいです。
ここからは長くなりますので、興味のある方が見てくれたらと思います。
1990年1月30日に茨城某所で性別 女で生まれました。
3人兄弟で7個上の兄と6個上の姉がいる末っ子のB型です。
一般的に言えば普通の家庭で育ちなに不自由なく生活していました。
こういった話をすると、どういったきっかけで性同一性障害になったかとか
どうして男になりたいと思ったのかなど聞かれますが
きっかけや動機などは一切ありません。
物心がつく前から両親には男物の服をねだり、髪を伸ばすのも嫌がっていたそうです。
自分の記憶が残っている間、物心がついたときが大体幼稚園くらいの時ですが、その時には女の子相手に初恋をし友達は男の子しかいませんでした。
自分でもなぜなのかよく分かりません。
小学校に上がり、赤いランドセルを渡されたとき、初めて自分の性に対して疑問を抱きました。
上級生から男なのになんで赤いランドセルなの?と聞かれたことが今でも記憶に強く残っています。
変わらず男友達しかできず、女の子との接し方がいまいち分からない生活を送り、小学校を卒業しました。
強く性に対して耐えられない抵抗と悩みが出てきたのが中学に入学してからです。
この頃はまだGIDという言葉も世間に浸透しておらず、自分が何者なのか分からない葛藤に苦しみました。
制服を着なくてはいけない、男女で別れなければいけない
抵抗も反発も全て偏見に繋がる恐怖。
成長期の身体の変化。
好きな子が出来てもどうしたらいいのかわからなかったです。
初めて彼女ができたのはこの時期でした。
告白をしたときにその子は人として好きだからと言ってくれましたが
自分が男としてその子が好きなのか
女としてその子が好きなのか問われた時がありました。
今思うと、同性愛なのか異性愛なのか
ということでしょう。
ただ自分は、同性愛ではないと言うことができても
異性愛だとは言えませんでした。
その子にとって自分は世間一般から見たら異性ではないから。
自分が分からず、堂々とその子を好きだと
彼女だと胸を張れず嫌になりお別れしました。
その頃ですね、金八先生で上戸彩さん演じる生徒で性同一性障害が取り上げられました。
丁度自分は母親と放送を見ていました。
それを見た母に
「あなたこれじゃないよね?」
と聞かれたのです。
自分でもまだ理解できてなくて、なんとなく似ている程度に思っていたものをいきない「これじゃないよね?」と聞かれても、言葉に詰まってしまったのを覚えています。
自分が答えるよりも先に母から
「嫌だよこんなの」
と言われました。
嫌だと言われてはそうだよなんて言えないし
まず本当にこれなのか?っていう疑問は消えず
とにかく生きずらい。
自分が思っていたのはそのことだけです。
胸があるのも嫌だ生理があるのも嫌だ
女性らしい部分すべてに嫌悪感しかない。
それがなぜなのかもわからない。
中学1年からテーピングで胸を潰していたのですが
中学2年の時に潰して胸が無いのもおかしいのでは?という思いが出てきて
学校に行きたくなくなりました。
幸いイジメというものには一切あっていません。
友達が好きだから、いい人たちだからこそ、隠さなきゃいけないのも、自分らしくいれないのも、気を遣うのも嫌になったんです。
学校に行かないで済む方法を考えて
怪我をするために足にダンベル落としたり試したが上手くいかず
家の2階から飛び降りることにしました。
たまたま部屋に入ってきた母に見つかり
泣かれたと同時にこんなところから落ちても死ねないよと言われました。
死ぬ気はなかったのですが、死んでも良かったなと思ったのも事実です。
こんな意味わかんないことと一生付き合っていかなきゃいけないなら生きていくのは苦痛でしかない。
ただ止められて上手くいかなかったのも事実
母を悲しませてしまったのも事実
割り切って娘でいようと思いました。
困らせず、心配をかけず
穏便に過ごそうと思いました。
女の子らしい格好や言葉遣いはできないけど、家にいる間は我慢しようと
ここから家をなるべく早く出る方法を模索し始め
調理師免許を取得できる高校を探し受験しました。
家から遠く、1人暮らしができること
自分を知っている人が1人もいないこと
全てが合致し行くために親に頭を下げ、受かるために生徒会長をし推薦をもらいって感じです。
親元を離れ地元の友達とも離れ
1人がすごく楽に感じていました。
高校では制服もありましたし、男女の意識も変わらずでしたが
何も苦ではありませんでした。
周りに関わらず、料理のことだけを考えていればいいからです。
1人になり性同一性障害について調べました。
同じような悩みを持っている人が沢山いることを知りました。
中途半端な考えの人も沢山いること、いろんな人がいること
これはGIDだからではなく、人間だからだということも知りました。
胸を潰してくれるシャツも通販で買うことが出来てテーピング生活からも解放されました。
GIDだけどそれを受け入れ理解して治療していかなければいけないことにはすごく悩まされました。
自分がこうだと受け入れなきゃいけない気持ちと
嫌な気持ちとの葛藤を上手く言葉に表すことができません。
高校3年になってY's table corporationへの内定が決まりました。
無事、国家試験も受かり卒業し入社しました。
研修が六本木ヒルズで3日間ほど行われました。
スーツを着て、通ったのですが
たまたま隣の席になった男性と話しをして仲良くなったのですが、自分のことは話せず、彼は自分をなんの疑いもなく男として接してくれていたのです。
最後、質疑応答のときに名前を呼ばれ、彼と言われたときに、資料を見ていた役職の方に【彼女です】
と言われ、会場が妙な雰囲気になり、さっきまで話してくれていた隣の席の人も最後まで話すことはなくなりました。
このときも本当に生きずらい
そう思いました。
店舗に配属し働いていたのですが、もちろん自分のことは言ってないので、女子更衣室を使い
女子トイレを使い、女性として
元々声は低く見た目もこんな感じで、違和感を感じる人から聞かれることも少なくなかったです。
限界が来て上司に相談しました。
六本木の本社に呼ばれ、話し合いをしました。
そこにゲイの友達がいるという男性上司と
そんなことを言われても対応できない、勘違いだろと頭ごなしに話を聞かない女性上司
理解は求めていない
当事者じゃないのだから、気持ちを理解はできない
ただ考えてほしかっただけなんです。
その上司と話しをしても無駄だと思い
その職場を辞めました。
それから自分のことをなるべく隠して働ける業界を探しました。
身分証も出さなくていい、保険も年金もない、、、
そこから裏稼業というものもやったことはあります。
働きながら病院にも通いGIDの診断書をもらい
20歳から男性ホルモン投与ができるようになりました。
男性ホルモン投与の前に親に自分のことを話しました。
その時の対応は、男になりたいんでしょ?
20歳になったら自分のことは自分の責任になるから、好きにしなさい
そう言われました。
これが正しい親の発言なのか自分にはわかりません。
間違えているとも正しいとも言いません。
ただ、否定されなかったことだけがただただ救いでした。
その言葉のおかげで自分は治療も相談せず好きに出来ています。
しばらくして都内の方面にいることが疲れてしまい、地元に帰ることにしました。
生きずらいに変わりはない中で地元がまだマシだと思ったからです。
その後いろいろな職業を試しました
職安で案内されて行って自分のことは話さず、見た目や声などから男として雇われた後に
保険などで戸籍の性別が女性と分かって「詐欺だ、男だから雇ったのにそんなの聞いていない」
そう言われたこともあります。
履歴書はちゃんと書きましたし勘違いしていたのはその会社の方なのですが、
毎回毎回嫌な思いをして自分のことを説明しなきゃいけないのか?
その時は理解できませんでした。
何回かそんなことを繰り返しと後に、派遣に登録し、採用になってから自分の管理をしてくれている人だけに自分のことを話し、派遣先では男性として働くことができました。
外壁を作る仕事で、今まで感じることの出来なかった
気を使わなくていいそんな環境に生きやすさを覚えました。
そんな中、東日本大震災が起こりました。
外壁を作る工場が海沿いだったので、すぐに避難し、実家も海から近かったため避難しました。
職場津波にのまれてしまい、実家は破損しました。
全壊ではなかったので直して今でも健在です。
職がなくなって、福島に内装の手伝いに行ったり、震災で困っているところに出向いたりしていました。
状況は悪いものの落ち着いてきたころに、友人に紹介してもらった所で上司1人だけが自分のことを知っている中で男性として働き始めました。
そこに2年くらい働き、現在の住んでいる茨城の別のところに引っ越しました。
その2年での経験から更に上を目指したくなっている自分がいたからです。
そこでPC系の知識を付けました。
全く出来なかったPC操作も慣れ
HTML、Photoshop、Word、Excelその他諸々は程々に出来るようになりました。
ほどほどにです。
そんな中現在の彼女と出会いました。
それまでも彼女はできていましたが、GIDの知り合いから紹介してもらった人や
自分のことを初めから話している人でした。
現在の彼女とは男性として出会い、GIDの話をすることもなく好きになってしまいアタックしていました。
ちゃんと話さなければいけないと思っていても、なかなか言い出せずにいたときに彼女が友達からGIDだと告白されたという話を聞きました。
身近に自分と同じ人がいたのかと、ちょっと安心しました。
そこで大事な話があるといい、GIDであることを告白しました。
彼女はそんな自分でも受け入れてくれて交際する流れになりました。
自分は性転換手術がまだ終わっていません。
仕事が忙しい、費用が高いなどの理由から先延ばしにしていたんです。
現にしなくても男性としてなんの問題もなく生活できてしまっていた現状を打破するのに腰が重たくなっていたんだと思います。
彼女の夢は結婚して子供を作ることです。
それを叶えてあげられない自分が嫌で、どうしようもない嫌悪感
ただその時の仕事で結構な立場になり責任者になり、思うように休みも取れず上手くいかないジレンマがありました。
そこで2019年7月からFXとバイナリーオプションの専業トレーダーになることを決めました。
それまで副業のお小遣い稼ぎ程度、全然トレードをしない日も多々あったのですが、本格的に始動させました。
ずっと専業トレーダーを続けていく気はありません。
結婚、子供、将来的には妻と自営でお店を出すことが目標です。
そんなに順調に稼げるならずっと続ければいいじゃないか
そう思う人も多いと思います。
自分にとって、投資はあくまで資産を増やす作業にすぎなくて
やりたことがあるなかで、時間を取れずそれを続けられなくなるのでずっとは続けていけないんです。
チャートはずーっと見てると自分は気がおかしくなります(笑)
やりたいことの為にやっている。
だから豪遊しないんです。
そして現状専業でやっている手法を他の人に伝授し、残していけたらと思いココナラでの販売を決めました。
子供を持つ親の皆様
以上が自分の生い立ちになります。
自分は自分の子孫を残すことはできませんが、子供を望んでいます。
彼女の遺伝子が入っていれば愛すことができる自信があるからです。
彼女もそれには同意しています。
精子ドナーで体内受精を考えています。
世の中には
血がつながっていても幸せじゃない子供、幸せな子供
片親でも幸せな子供、幸せじゃない子供
実の親に殺される子供、育児放棄を受ける子供
人の数だけそれぞれの人生があります。
それぞれの考え方があって当たり前なのも理解しています。
自分のような人に嫌悪を抱く人もいると思います。
ただ現在お子さんがいる親の皆様
もし自分のような子供になってしまったら
理解ができなくても否定はしないであげてください。
自分は諭す、促す、導くのが親だと考えています。
自分が親になったとき同じような子供が生まれてきたら
自分の今までの人生は良いものではなかったことをしっかり伝えると思います。
親であるあなた自身が理解できないのは当たり前です。
当事者にしか理解はできないことが多いからです。
でも寄り添って考えてあげることはできると思います。
自分は我が子がGIDだったら
すごく嫌な気持ちになると思います。
この子に同じ苦しみを味わわせてしまうのかと、
ただ、自分の話を聞いても揺るぎない気持ちなら生きやすい人生を歩む方法を促し導くことはできます。
否定したい気持ちと理解できる気持ちとすごく複雑です。
我が子の幸せを想う親なのであれば
その子がどうしたら幸せで生きやすい人生を歩んでいけるのか
精一杯考えてあげてほしいです。
長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございます。